「天軍」

 現代の韓国と北朝鮮の兵士らが、16世紀の李氏朝鮮時代にタイムスリップし、李舜臣と出会う―。韓国映画の「天軍」(2005年)は、日本の「戦国自衛隊」を想起させるストーリーだが、ありえない運命を共にする韓国と北朝鮮の兵士の葛藤や友情、李舜臣が英雄として目覚めていく姿といった多様な人間像が描かれており、作品の中にグイグイと引き込まれた。
 韓国と北朝鮮は極秘に核兵器を開発するが、米国の知るところとなり、同国に明け渡すことに。それを不満に思う北朝鮮の将校カン・ミンギル(キム・スンウ)は、核兵器を奪取。女性核物理学者(コン・ヒョジン)を連行し、逃走する。韓国将校パク・チョンウ(ファン・ジョンミン)らが追跡し、アムノッカンで戦闘となるが、彗星の地球接近により双方の兵士らは1572年にタイムスリップ。女真族が朝鮮辺境の住民を襲う現場に降り立ったカン・ミンギルらは、女真族を撃退し、住民には天から降り立った「天軍」と崇拝される。
 一行はこの後、李舜臣(パク・チュンフン)と出会うが、武科試験に失敗し、投げやりな生活を送っていた―。
 ひとつ間違えばチープな風合いに陥る危険性が高いジャンルの映画だが、総体的にストーリーに破たんは見られず、作品の質は確保されている。タイムスリップしたカン・ミンギルらは、「非現実」に直面しても平然とし過ぎている気がしなくもないが、作り手は、途中で命を落としたり、「天軍」としての過酷な運命を選んだりする兵士たちの人間描写に腐心している印象だ。
 武科試験に落ちて失意の李舜臣は、女真族朝鮮民族の少女を殺す事件をきっかけに、女真族との戦いに身を投じる決意を固めるが、ふんするパク・チュンフンは、この事件の前後で李舜臣を巧みに演じ分けている。失意、将来への不安、戦いに生きる覚悟、そして英雄としての気高さ―。李舜臣の多様な側面を的確に表現するパク・チュンフンは、実に魅力的な俳優である。(了)

「さくらん」

 江戸時代の吉原遊郭を舞台に、一本気なおいらんの姿を描く「さくらん」(2007年)。フォトグラファーとして活躍する蜷川実花監督が、安野モヨコの漫画を映画化した作品で、原色を多用した斬新な色彩表現、3人のおいらんの多様な人生模様、土屋アンナの素の演技が魅力と言えるだろう。
 8歳で吉原の遊郭に足を踏み入れ、脱走を繰り返しながらも、遊女として生きることを決意するヒロインきよ葉。ふんする土屋アンナは自然な演技を披露。「演じている」というよりも、自分自身をきよ葉に重ね合わせているかのようだ。
 蜷川実花監督は、作品全体を通してエロスのにおいを薄めている印象。特に女性に温かい視線を注いでいる点に、好感が持てる。
 一方、演出に当たっては、俳優が自由に演じさせているようだが、「野放し」とも言えなくもない。あくが強い一部の出演者の演技が、時にオーバーに感じられる局面も。“演出家”としては「これから」なのかもしれない。
 土屋アンナを除く2人のおいらん役に目を向けると、おいらんとしての矜持や覚悟、妖艶さを漂わせる菅野美穂は、確かな演技力を見せていた。一方の木村佳乃は「嫉妬」と「愛」の2つの感情の表現を試みていたが、気迫が空回りしていた気がしなくもない。

「夕凪の街 桜の国」

 こうの史代の漫画が原作の「夕凪の街 桜の国」(2007年)。62年前、広島に投下された原爆で被爆した女性と、その姪に当たり、現代で自分のルーツを見詰め直す女性にスポットを当てた2つの物語から成る。佐々部清監督は原作の設定に若干の変更を加えているが、親子や兄弟、男女の愛を描く今作品は、原作と変わらぬ風合いを保ち、被爆の実相が過不足なく盛り込まれている。まさに、優れた原作による優れた作品と言えるだろう。
 「夕凪の街」。被爆から13年が過ぎ、「誰かに死ねばいいと思われた」ことに苛まれ、生き残ったことへの罪悪感を感じる皆実(麻生久美子)。「うちは、この世におってもええんじゃろうか?」と思い詰める彼女を、思いを寄せ合う打腰(吉沢悠)の「生きとってくれて、ありがとうな」という言葉が優しく包み込む。
 そして半世紀後が舞台の「桜の国」。皆実の弟旭(堺正章)の娘七波(田中麗奈)は、近ごろ挙動不審な父の後を付け、幼なじみの東子(中越典子)と広島へ。七波は被爆2世としてのルーツに向き合う中で、素直なまなざしを家族や自分に向け、現実を踏まえて強く生きることを心に誓う。
 麻生久美子の演技は、透明感とはかなさが漂う。美しく、情緒的でもあり、作品中の皆実の存在感は群を抜く。原爆投下を「しょうがない」と発言し、辞任した閣僚がいたが、皆実の姿や言葉は、原爆投下が「しょうがない」ものではない、非人道的な行為であることを、観る側に確かに伝えている。
 男っぽい性格で、母と祖母を亡くした心の傷が癒えない七波になり切った、田中麗奈の好演も印象深い。「忘れないで」という被爆者の願いと、被爆2世である自分の運命を受け止め、未来を生きようとする七波。被爆体験の継承という次世代の使命を浮き彫りにする、今日的な意義が大きい役どころと言えるだろう。(了)

「ペイチェック」

 インターネットの「中国情報局」によると、ジョン・ウー監督が中国・三国時代の「赤壁の戦い」を撮影することになり、金城武トニー・レオン、ビッキー・チャオなど、中国語圏のスターが多数出演するそうです。周瑜トニー・レオン諸葛亮孔明金城武が演じる一方で、ジョン・ウー監督とは「男たちの挽歌」でコンビを組んだチョウ・ユンファは降板したとか。公開は2008年と聞きますが、三国志ファンにとっては公開が待ち遠しい一作です。
 ジョン・ウー監督には、2004年の来日時にインタビューした経験があります。当時執筆した記事を再編集して掲載します。

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◎「あきらめず、希望を持って」
=映画「ペイチェック」のジョン・ウー監督
 米映画「ペイチェック消された記憶」は、「ブレードランナー」などで知られるSF作家フィリップ・K・ディックの短編小説が原作。記憶を消すことで多額の報酬を受けているフリーのエンジニアが主人公だ。監督は、「男たちの挽歌」「M:I−2」などを手掛け、アクションの名手として知られるジョン・ウー。「運命を切り開く主人公に、何事もあきらめず、希望を持つことの大切さを、メッセージとして込めた」と語る監督に、作品や映画への思いを聞いた。
◇「運命切り開く主人公に共感」
 映画の舞台は、国家や企業が機密保持に腐心している近未来。フリーのコンピューターエンジニア、マイケル・ジェニングス(ベン・アフレック)は、任務終了後に高い報酬を受け取る代わりに、その間の記憶を抹消するという契約で、ハイテク企業を渡り歩き、極秘プロジェクトにかかわり続けている。
 そして今回、巨大ハイテク企業「オールコム社」と新プロジェクトの契約を締結。3年間の記憶を消すことで、9200万ドルを受け取ることになる。だが、プロジェクトが終了した3年後、同社側から渡されたのは、カギや腕時計など、がらくた同然の19のアイテムだった。マイケルは、記憶を失った間、自分が何をしていたのか突き止めようと行動を始めるが−。
 テンポの良いアクションを得意とすることで知られるジョン・ウー監督。今作でも、その迫力は満点で、見応えがある。「マイケルはスーパーヒーローではなく、人生を楽しむ現実的な男。アクションシーンでは賢く戦い、自分の運命を切り開いていく姿には、わたし自身が勇気付けられたよ」。主人公のキャラクターへの思い入れは、ひときわ強い様子だ。
◇「映画は自己表現の大切な道具」
 「黒澤明、デビッド・リーン、サム・ペキンパー…。映画を作るときは、影響を受けた彼らに、常にオマージュを捧げている」。ジョン・ウー監督は、映画に対する深い愛情をこう表現する。「ペイチェック」の場合、撮影中に念頭にあったのは、「アルフレッド・ヒッチコック監督にオマージュを捧げたい」という思い。「だから、人間描写に重点を置いたサスペンス、ロマンチックなラブストーリーの部分にもフォーカスを当てたんだ」
 香港でデビュー、活躍した後、“主戦場”を米国に移したジョン・ウー監督。「香港」と「ハリウッド」。米国とアジアの“映画の都”の製作スタイルは特徴を大きく異にすると、監督は感じている。
 「香港の撮影スタイルは、とても自由。監督が作品をコントロールできるし、脚本が完成してなくても、撮影を始めてしまう。対するハリウッドは、映画会社が作品の内容に口を出そうとするから、最初はものすごく苦労した。でも、俳優もスタッフもプロフェッショナルだし、製作資金が巨額だから、あらゆる表現手法が採用できるんだ」
 映画製作の際は、「世界中の人々を幸せにしてあげたいから、仲の良い友人のことを思い出しながら撮影に臨んでいる」という。「映画は、わたし自身を表現するための大切な道具。才能あふれる人々との仕事を通じ、たくさんのことを学ぶことができるから、映画を作るのが大好きなんだよ」。丁寧な語り口の中から、映画への思いが次々とあふれ出してきた。(了)

「硫黄島からの手紙」

 筆者は1990年代に被爆地・長崎で取材活動をした経験があるが、被爆50周年を過ぎた後は、被爆体験の風化を危ぐする声が多かったことを記憶している。今年の夏で太平洋戦争の終戦から62年。戦争体験者の高齢化が進む中、長崎のみならず、日本国内で戦争体験の風化が日増しに進んでいるのだろうか。
 そんな中で公開されたのが、クリント・イーストウッド監督が太平洋戦争末期の「硫黄島の戦い」(1945年)を全編日本語で描いた「硫黄島からの手紙」(2006年)。日本国内での反響も大きく、関連のドラマや本が制作、出版されたりしたが、日本人が「戦争」について考え直す一つの契機となった、意義深い作品と言えるだろう。
 作品構成としては、戦闘シーンと、栗林中将を中心とする人間模様のバランスの取り方が絶妙。物語のキーパーソンとなるのは、栗林中将と西郷一等兵だが、指揮官と一兵卒の関係が最終盤で絡み合う展開も巧みだった。
 家族を思う生身の人間(日米を問わず)が殺し合ったり、機関銃やライフルに撃たれたり、自決したり、投降したのに殺されたり…。戦場における人間の姿とは、なんと悲惨なものなのだろうか。ただただ心が痛かった。
 渡辺謙ふんする栗林中将は、優しく、冷静で、合理的な思想の持ち主だが、「ラスト・サムライ」で同じく渡辺が演じた勝元と同様、自らが滅び行く運命を悟っていたのだろう。「我々の子供らが日本で一日でも長く安泰に暮らせるなら、我々がこの島を守る1日には意味がある」との言葉が、特に重く心に響いた。

「日本一のゴリガン男」

 3月27日、植木等さんが亡くなった。同28日付の朝日新聞朝刊社会面に掲載された、「無責任男が受けたのも、根がまじめだから」という放送作家はかま満緒さんのコメントが印象的だった。合掌。
 クレイジーキャッツはテレビ、映画、音楽など各分野で多大な功績を残したが、映画について言えば、市井の市民やサラリーマンに「気楽に頑張ろう」という、優しく、時を経ても色あせないメッセージを送ってくれたことだろう。その中心的な発信者が植木さんだった。
 植木さん逝去を契機に、古沢憲吾監督の喜劇「日本一のゴリガン男」(1966年)を鑑賞。植木さんが演じるのは、落ちてきた鉄骨が頭に当たり、手術を受けて頭の回転が入院前より100倍良くなった日本等。1年後に退院すると、勤めていた商社がつぶれており、同じビルに入居していた「統南商事」に月給なしで働くことに。食品代理店の招待を成功させたのを皮切りに、おもちゃ、墓地、イオン交換樹肪で水の性質を変える装置の販売で成績を上げていく。
 不況対策で希望退職者を募っているという統南商事で、社長のご都合主義で仕事に横槍を入れられても、合理的な発想と柔軟な方針転換、図々ししさとバイタリティーを原動力に次々に成果を上げる日本等。組織に押しつぶされず、「職業別電話帳1冊あれば、どんな商品だって売りまくる」と言い切る気概を持っている、実に魅力的なキャラクターである。
 作品中、植木さんの歌声が随所で堪能できるが、声量のなんと豊かなことか。統南商事による食品代理店招待の場面で、植木さんと人見明との歌や踊りの競演も、純粋に楽しい。チーフコック役の田中邦衛、悪徳市議役の藤田まことの個性も光っていた。(了)

「ラブストーリー」

運命というのは 努力した人に 偶然という橋を架けてくれる

偶然とは 努力した人に 運命が与えてくれる橋です

 韓国映画猟奇的な彼女」に出てくるせりふです。個人的な話で恐縮ですが、最近、事が思うように運ばず、落ち込んでいました。そんな中、上記のせりふに触れると心が軽くなります。
 「猟奇的な彼女」のクァク・ジェヨン監督には、監督が「ラブストーリー」の宣伝で来日した際に話を伺った経験があります。当時の記事を再構成して掲載します。

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◎感情に訴えるメロドラマ
韓国映画「ラブストーリー」のクァク・ジェヨン監督 =

 韓国映画猟奇的な彼女」の監督を務めたクァク・ジェヨンの最新作「ラブストーリー」。恋に悩む大学生と、その母の初恋を巧みに絡み合わせ、今作を劇的なラブストーリーに仕上げたクァク・ジェヨン監督。「観客の感情に訴え掛けるメロドラマを作ることを心掛けた」。来日時のインタビューでは、今作への深いこだわりが、落ち着いた口調からにじみ出ていた。
 ◇重なり合う登場人物の心情と音楽
 時は2003年。ヒロインの大学生ジヘ(ソン・イェジン)は、演劇部の先輩サンミン(チョ・インソン)に送る電子メールの代筆を、友人に頼まれる。ジヘも、サンミンに密かな思いを寄せているが、奥手な性格のため、告白できずに思い悩んでいた。
 ある日、ジヘは自宅で小さな木箱を見付ける。その中に収められていたのは、35年前、若き日の母ジュヒ(ソン・イェジン)の恋心をつづる手紙の数々と、1冊の日記帳。ジュヒの相手は、父の友人ジュナ(チョ・スンウ)だが、2人の仲は、身分の違いや社会情勢に翻ろうされていく。
 パッフェルベルの「カノン」、ショパンの「悲愴」。「感情を伝える映画に音楽は不可欠な要素」と言う監督だけに、劇中の音楽が、登場人物の心情と見事なまでに重なり合っている。撮影中、俳優には音楽を聴きながら演じてもらったといい、「音楽の旋律と俳優の感情が絡み合い、良い演技を引き出すことができた」。
 ◇「観客が泣けて、感動できる作品に」
 今作の原題は「THE CLASSIC」。「近年は感情表現が抑制された、“あか抜けた”作風の映画が多いけど、観客が泣けて、感動できる作品に仕上げたかった」。「古典」という意味のタイトルに込めた意図を、クァク・ジェヨン監督はこう明かす。「仮に、観客に『ださい』と思われても構わないから、素直な気持ちで愛を描きたかったのです」
 キュートな外見とは裏腹に、言動が過激なヒロイン(チョン・ジヒョン)のキャラクターが秀逸だった「猟奇的な彼女」。ラブコメディーではあるが、劇中で描かれる切ない恋心、偶然が導く運命的な結末などが印象深かった。そんな前作の特徴が、母と娘の切ないラブストーリーをつづる「ラブストーリー」にも存在する。
 「実は、『ラブストーリー』の脚本を先に書いていたのだが、“お蔵入り”になりそうだった。撮れないのであれば、今作の特徴であるメロドラマ的な要素を、『猟奇的な彼女』に盛り込もうと思ったのです」。クァク・ジェヨン監督は、その理由の謎解きをしてくれた。
 1989年にデビューした監督は、恋愛がテーマの作品を好んで製作している。「いろんなジャンルの映画の中でも、愛の物語は、温かい気持ちが観客に特に伝わる気がする。だから、観客に考えさせる映画より、観客の感情に訴える映画が好きなんです」。新作として手掛けているのも、チョン・ジヒョン主演のラブストーリーだ。(了)

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 このときの「新作」とは、「僕の彼女を紹介します」だったようです。