「ロスト・イン・トランスレーション」

 ソフィア・コッポラ監督の新作映画「マリー・アントワネット」が公開されています。2006年のカンヌ国際映画祭での評判はいまひとつだったようですが、映画評論家の渡辺祥子さんは1月19日付の日本経済新聞夕刊で、「マリー・アントワネットの生きた日々を1980年代調ロック音楽と焼き菓子のマカロン色に煙る大人のピンクで彩った映像絵巻」「お嬢様流の可憐なしたたかさが満開の作だ」と評しています。
 今回は、公開当時に書いた監督の前作「ロスト・イン・トランスレーション」(03年)についての批評記事を再構成して掲載します。

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◎繊細で温かい心理描写
ソフィア・コッポラ監督「ロスト・イン・トランスレーション」=
 「ロスト・イン・トランスレーション」は、東京に滞在するハリウッド俳優と若い女性の交流が描かれる物語で、米アカデミー賞オリジナル脚本賞を受けるなど、高い評価を集めている。監督はソフィア・コッポラ。孤独や不安、異国での疎外感、淡い恋心など、登場人物の複雑な感情を見詰める視線は、繊細で、とても温かい。フォトグラファー、デザイナーなどとしても活躍する芸術家肌の新進監督が、その豊かな才能を開花させた作品と言えるだろう。

◇「孤独」を淡々と、丁寧に

 ハリウッドスターのボブ・ハリス(ビル・マーレイ)は、ウイスキーのCM撮影のため単身来日する。だが、慣れない異国での生活、コミュニケーションが取れない日本人との仕事の中で神経質になり、眠れない日々を過ごすことに。同じころ、写真家の夫に同行して来日したシャーロット(スカーレット・ヨハンソン)も、仕事に追われる夫と行動を共にすることができず、孤独と不安感にさいなまれていた。
 東京・新宿の同じホテルに滞在するボブとシャーロットは、次第に言葉を交わすようになり、互いに抱える孤独な心情を感じ取る。食事やカラオケに行くなどするうちに、急速に打ち解けていく2人。年齢の差を超え、不安や悩みを告白し合う関係になったころ、ボブの帰国の日も迫ってきて−。
 日米両国の言葉や習慣の相違をネタに笑いを誘うエピソードを盛り込みつつ、「孤独」という普遍的な人間心理を淡々と、そして丁寧に描写したコッポラ監督。ボブとシャーロットが東京で感じた孤独は、監督自身が経験した心情と見るべきだろう。そんな監督の"分身"とも言えるキャラクターにふんしたマーレイとヨハンソンは、抑制の効いた演技が印象的。特に、異国の地に放り出されたスターの戸惑いを、全身から漂わせる雰囲気で表現したマーレイの演技力は、特筆に値する。

◇抑制された演出、映像美の追求

 明治初期を時代背景とする「ラスト・サムライ」、現代日本で登場人物が刀を振り回す「キル・ビル」に対し、カラオケ、すし、しゃぶしゃぶ、パチンコなどが次々と登場する「ロスト・イン・トランスレーション」は、リアルな東京が舞台だ。撮影では、少人数のクルーで隠し撮りも敢行したという。スクリーンに映し出されるのは、高層ビルや寺院が同居し、近代性、乱雑さ、わびさびの世界が併存する光景。どうやらコッポラ監督は、東京を不可思議な無国籍都市と受け止めたようだ。
 確かに、日本人とすれば、その描写は「外国人が見た表面的な日本」(ある映画評論家)との印象を受けなくもない。その是非は別にしても、異国での疎外感、ボブとシャーロットの親近感などを引き立たせるには、東京の"無国籍ぶり"が舞台装置として効果的だったことは、紛れもない事実だ。
 フランシス・フォード・コッポラの愛娘であるコッポラ監督は、1971年生まれ。「ペギー・スーの結婚」「ゴッドファーザーPARTIII」に女優として出演。フォトグラファー、モデル、デザイナーでもあり、アーティストとして多彩な顔を持つ。映画監督としてのデビュー作は、99年の「ヴァージン・スーサイズ」。次々と謎の自殺を遂げる5人姉妹の姿を通して、思春期の心の揺れを繊細に描く好作品だった。
 彼女の監督作品2作を見ると、抑制された演出、繊細な心理描写、映像美の追求などが個性と言えそうだ。「ロスト−」では、伝説のフォークバンド「はっぴいえんど」の「風をあつめて」を使用するなど、音楽へのこだわりも強い。多種多芸で、作品全般に細やかな神経を使うコッポラ監督。今後、「映画」という総合芸術の場でますます活躍しそうだ。(了)

「NANA」

 矢沢あいの人気漫画を実写化した「NANA」(2005年)。人気歌手の中島美嘉と、演技力に定評がある宮崎あおいのダブル主演で、対照的な2人の女性の恋や友情を描く一作だ。興行収入が40億円に上る大ヒットを記録したが、その成功の要因は何か? 適材適所の見事なキャスティング、明快な人物描写、感情移入しやすいエピソードが豊富に盛り込まれていることなどだろう。
 歌手としての成功を目指す大崎ナナと、一途な性格の「ハチ」こと小松奈々。上京する電車の中で出会った同い年の2人は、やがてルームメートとして同居することに。恋人との別離を乗り越え、昔の仲間たちとバンド活動を再開するナナ。そして、同郷の恋人に振られてしまう奈々…。タイプの異なる2人は、互いを思いやり、補い合いながらきずなを深めていく。
 登場人物それぞれの個性が強い中、激しさと繊細さを併せ持つナナは多面的で、特に魅力的。持ち前の歌唱力を存分に発揮できることもあり、中島美嘉にとっては完ぺきな“はまり役”だ。
 一方の奈々は、純粋で、ミーハーで、やや独りよがりだけど思いやりがある、という難役。演じた宮崎あおいに対しては、配役が発表された際、漫画のファンの間で「イメージとは違う」との声も上がったというが、彼女は髪の色を変え、少し甘えた口調で演じるなどして役にアプローチ。それが奏功し、奈々の魅力も際立って見える。
 今作はナナのストーリーが中心で、奈々の自分探しはこれからというところだった。当初から続編を意識して製作したのだろうが、今作の中で奈々の「これから」をもう少し見てみたい気もした。(了)

「ラスト・サムライ」

 10日、テレビ朝日系で放送された「ラスト・サムライ」(2003年)を再見しました。渡辺謙のハリウッド進出の端緒となった作品だけあって、彼の演技は見事です。個人的には、息子と最後の別れをする際の勝元の表情が忘れられません。以下、公開当時に書いた原稿を再編して掲載します。

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◎「人生を見詰め直す作品に」―トム・クルーズ

=日本が舞台の映画「ラスト・サムライ

 明治維新直後の日本が舞台の映画「ラスト・サムライ」(エドワード・ズウィック監督)。米兵と日本の侍が対立を超え、心を通わせる姿を描く歴史大作で、主演は製作も兼ねるトム・クルーズ。来日時の会見で、「アーティスト、哲学者でもあり、忠誠心や思いやりを忘れない侍について学ぶ中で、自分の人生を見詰め直しました」と語った彼の、深い思い入れが垣間見られる一作だ。

 ◇説得力ある物語、迫力の戦闘シーン

 時は1876年。南北戦争、インディアン討伐戦などに参加した英雄、ネイサン・オールグレイン大尉(クルーズ)は、軍隊の近代化を目指す明治新政府の招きで来日する。その直後、徴兵された農民の訓練がままならないうちに、新政府と対立する勝元盛次(渡辺謙)が率いる侍の一族と戦い、その最中にとらわれの身となってしまう。
 オールグレインは、勝元の領地で生活する中で、彼らの武士道精神に感銘を受け、勝元との友情を次第に深めていく。やがて解放され、帰国することになるが、新政府に追い詰められた勝元の窮地を救い、彼と政府軍の最後の戦いに助力する。
 女性や子供も殺したインディアン討伐戦争に参加し、自分自身を見失ったオールグレイン大尉。礼節や名誉を重んじ、ストイックに生きる勝元らに心引かれ、再生していくストーリーは、説得力がある。戦闘シーンも迫力十分である上に、戦争の悲惨さ、人が死んでいくことの悲しさが、しっかりと描き込まれている。
 そして、過去、ハリウッド映画に散見された日本への無理解は、この映画にはない。設定に若干の矛盾はあるものの、日本人の精神性、19世紀の日本の情景を丁寧に表現しようと試みるクルーズら製作陣の情熱が、画面にみなぎっているのが印象深い。

◇「異文化の理解を」とメッセージ

 この映画のテーマは「異なる文化の融合」と、ズウィック監督。クルーズは「相手への無知が偏見を招き、人種差別や文化的な孤立、さらには戦争を引き起こすのだと思う。人間には、異なる文化を理解する柔軟性が大切ということが、作品の根底に流れるメッセージなのです」と話す。捕虜になって心を閉ざすオールグレイン大尉に、勝元が何度も会話を求め、徐々に理解し合うプロセスなどは、クルーズの言葉の裏付けになっているようだ。
 今回、重いかっちゅうを身につけての演技に備え、撮影前に体重を10キロほど増やしたというクルーズ。新渡戸稲造の「武士道」などの本や資料を読み込んだり、空手や剣術の訓練を積んだりして、役作りに情熱を注いだ。米国、日本、ニュージーランドで行われた撮影は1年余りに及んだが、「何も学ばない日は一日もなかった」と、刺激の大きさを表現する。
 一方、真田広之小雪原田眞人ら、日本人キャストは総じて健闘しているが、その中でも好演が際立つのが渡辺だ。「外国で仕事をする環境に身を置き、思った以上に日本は小さいと実感した。僕のバックグラウンドを知ってもらいたい一心で撮影に臨んだ」と振り返っていた。(了)

「トゥー・ウィークス・ノーティス」

 「two weeks notice(トゥー・ウィークス・ノーティス)」。「2週間前の退社勧告」の意味で、米国では社員が退社に際し、2週間前に会社に通告するのが通例だという。その言葉が映画のタイトルになった「トゥー・ウィークス・ノーティス」(2002年)は、切れ者の女性弁護士と、不動産会社のわがままな経営者の恋模様が描かれる。サンドラ・ブロックヒュー・グラントが織りなすラブコメディーは、オーソドックスで安定感がある。
 ハーバード大卒のルーシーは、優秀で正義感が強く、社会奉仕活動にも熱心な熱血弁護士。生まれ育ったニューヨークの公民館の取り壊しを阻止しようと訪れた大手不動産会社で、法律顧問を務めることに。しかし、経営者のジョージのネクタイ選びから離婚調停まで任されることが嫌になり、ルーシーは「2週間後に辞める」と宣言するが―。
 しっかり者で不器用な女性弁護士と、頼りないけど憎めないセレブな男性の恋の行方は、意外性には薄く、ある程度の先行きが予測可能ではある。しかし、明快なキャラクター設定や、サンドラ・ブロックヒュー・グラントの演技のハーモニーなどにより、「ラブ」と「コメディー」の魅力が確立されており、映画としての品質は高い。
 今作のプロデューサーも務めたサンドラ・ブロックは、ヒロインとしてストーリーの主旋律を的確に奏でているが、それを際立たせるのがヒュー・グラントの硬軟自在の演技だろう。二枚目で、だらしないけど、良心的で、憎めない、という複雑な役柄を、肩ひじ張らずに演じるところは、まさに「見事」の一言だ。

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 ちなみに、日本の俳優でヒュー・グラントと近い立ち居地にいるのは、阿部寛でしょうか。鑑賞中、阿部寛の顔が脳裏をしばしばよぎりました。

「陽はまた昇る」

 寺尾聰主演の「半落ち」などを手掛けた佐々部清監督のデビュー作「陽はまた昇る」(2002)は、家庭用ビデオの開発や、VHS方式を世界規格とすることに情熱を注いだ男たちの姿が描かれる。NHK総合で放送された「プロジェクトX」でも紹介された題材で、作品として派手さはないが、俳優の高い演技力と、監督の誇張を廃した手堅い演出によって、ヒューマンドラマの秀作に仕上がっている。
 主人公で、日本ビクターに勤める加賀谷は、非採算部門の横浜工場ビデオ事業部に異動となり、会社に大規模な人員削減を命じられる。だが、加賀谷は解雇者を出さないための方策として、家庭用ビデオの開発プロジェクトを立ち上げ、極秘裏にスタートさせる―。
 開発・規格をめぐる競争でライバル会社に先行されても、加賀谷は決して諦めることはない。下請け企業を協力企業と呼び、部下への中傷は許さない。松下電器松下幸之助にVHS方式を採用するよう直訴もする。こうした言動を支えるのが、部下たちの信頼感、ないしは部下たちとの一体感。それを象徴的に表現するのが、ラストシーンの人文字で、見る側は心が突き動かされるはずだ。
 それにしても、西田敏行は俳優として演技力の幅が実に広い。大別すると、人間味とコミカルな演技がこの人の持ち味なような気がするが、演じるキャラクターによって、両者の濃淡を自在に塗り分けている印象を受ける。「釣りバカ日誌」シリーズの浜ちゃんも良いが、一途で生真面目な加賀谷も魅力的なキャラクターに仕上げている。
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 余談ですが、NHKの「プロジェクトX」でこのエピソードを見たとき、筆者は感極まって涙しました。

「トーク・トゥ・ハー」

 先週、NHK・BS2で「オール・アバウト・マイ・マザー」を再見しました。スペインのペドロ・アルモドバル監督といえば、1980年代の作品群は奇抜な面が突出していた感ありでしたが、「オール・アバウト・マイ・マザー」と「トーク・トゥ・ハー」で見せた表現の深みは圧巻です。以下、公開当時にある媒体向けに書いた「トーク・トゥ・ハー」に関する原稿を再構成して掲載します。

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◎人間洞察の鋭さ際立つ傑作
ペドロ・アルモドバル監督「トーク・トゥ・ハー」=
 スペインのペドロ・アルモドバル監督の「トーク・トゥ・ハー」は、昏睡状態に陥った2人の女性をめぐる愛の物語。米アカデミー賞脚本賞を受けるなど、欧米での評価は極めて高く、人間洞察の鋭さと温かさ、巧みな語り口が際立つ傑作と言える。

◇巧みな"話術"で愛や孤独を描く

 ある病院のベッドで眠るダンサーのアリシアレオノール・ワトリング)は、4年前に交通事故に遭って以来、一度も目覚めることがない。この間、彼女を愛する看護師ベニグノ(ハビエル・カマラ)は、献身的な看護を続ける傍ら、日常の出来事や、感動した舞台や映画の感想などを、絶え間なく語り掛けてきた。
 一方、女性闘牛士のリディア(ロサリオ・フローレス)も、競技中の事故で植物状態となり、アリシアと同じ病院に運ばれる。恋人マルコ(ダリオ・グランディネッティ)は、突然の事故に動転し、リディアに触れることができない。
 やがて、顔見知りになるベニグノとマルコ。ベニグノは「話し掛けてみて。女性の脳は神秘的だから」と、マルコに勧める。互いの境遇を語り合うことで、友情を深めていくが、アリシアに盲信的で無償の愛を注ぐベニグノは、思いも寄らない事件を引き起こす。
 アルモドバル監督は、眠り続ける2人の美女に対し、恋人の愛情の“純度”と深さに応じて異なる運命を用意している。2組の男女関係を対比させる中で、愛や孤独といった人間の情念、生や死のありようを浮き彫りにする作品構成は絶妙だ。ドイツの舞踏家ピナ・バウシュの踊り、無声映画などを要所で効果的に織り込みつつ、ストーリーを展開していく監督の“話術”は、成熟度が高い。

◇奇抜な設定や人物描写が特徴

 アルモドバル監督作品といえば、奇抜で、意表を突く設定や人物描写が個性的である。例えば、「マタドール 炎のレクイエム」(1986年)の主人公は、現役時代のスリルを忘れられずに女性を殺害する元闘牛士と、セックスの最中に相手の男性を殺す女性弁護士。同性愛、エイズ、臓器移植などがモチーフとなった「オール・アバウト・マイ・マザー」(99年)の登場人物は、両性具有の“娼婦”、妊娠してエイズで死ぬ修道女、レズビアンの大女優など、癖のある特異なキャラクターばかりだ。
 加えて、赤や青など原色を多用する映像の色彩美が出色。ファッション、音楽へのこだわりも強く、「キカ」(93年)では、ジャン・ポール・ゴルチエが衣装を担当し、「ハイヒール」(91年)の音楽は坂本龍一が手掛けている。
 「トーク・トゥ・ハー」でも、こうした個性あふれる斬新な表現手法は健在。その上で、人間や愛に対する洞察力が一段と深みを増している。次回作が常に待ち遠しい監督である。(了)

「リンダ リンダ リンダ」

 高校生活最後の文化祭で演奏を披露するため、練習を重ねてきたガールズバンド。本番3日前にバンドが空中分解してしまい、残された3人は韓国からの留学生をボーカルに迎え入れた。ブルーハーツの楽曲をコピーをすることになり、4人は猛練習して本番を目指して―。
 女子高生たちの心の揺れ、友情、何かを頑張ることのすがすがしさ、そし異文化交流。「リンダ リンダ リンダ」(2005年)は、淡々としたタッチの中に、多彩なテーマが盛り込まれた青春映画である。
 劇中、登場人物はあまり感情をあらわにしない。山下敦弘監督の控えめな演出は、ラストの文化祭のステージで4人を生き生きと描くための仕掛けだったのか。一方で、4人の微妙な感情の揺れは的確にとらえており、監督の手腕は確かだ。
 出演者に目を向けると、演技派のぺ・ドゥナ前田亜季、存在感を示した香椎由宇、実際にバンドのベーシストとして活動する関根史織などという顔ぶれ。安定感と意外性が同居した見事なキャスティングとの印象を受ける。
 中でも秀逸だったのがぺ・ドゥナ。その自然な演技からは、ユーモアや愛らしさが醸し出されている。カラオケ店でのドリンクをめぐる店員との掛け合いに象徴されるように、コメディエンヌとしての力量は抜群。そして、ブルーハーツの歌をマスターしたのも見事!ぺ・ドゥナなくして語れない1作だ。