「硫黄島からの手紙」

 筆者は1990年代に被爆地・長崎で取材活動をした経験があるが、被爆50周年を過ぎた後は、被爆体験の風化を危ぐする声が多かったことを記憶している。今年の夏で太平洋戦争の終戦から62年。戦争体験者の高齢化が進む中、長崎のみならず、日本国内で戦争体験の風化が日増しに進んでいるのだろうか。
 そんな中で公開されたのが、クリント・イーストウッド監督が太平洋戦争末期の「硫黄島の戦い」(1945年)を全編日本語で描いた「硫黄島からの手紙」(2006年)。日本国内での反響も大きく、関連のドラマや本が制作、出版されたりしたが、日本人が「戦争」について考え直す一つの契機となった、意義深い作品と言えるだろう。
 作品構成としては、戦闘シーンと、栗林中将を中心とする人間模様のバランスの取り方が絶妙。物語のキーパーソンとなるのは、栗林中将と西郷一等兵だが、指揮官と一兵卒の関係が最終盤で絡み合う展開も巧みだった。
 家族を思う生身の人間(日米を問わず)が殺し合ったり、機関銃やライフルに撃たれたり、自決したり、投降したのに殺されたり…。戦場における人間の姿とは、なんと悲惨なものなのだろうか。ただただ心が痛かった。
 渡辺謙ふんする栗林中将は、優しく、冷静で、合理的な思想の持ち主だが、「ラスト・サムライ」で同じく渡辺が演じた勝元と同様、自らが滅び行く運命を悟っていたのだろう。「我々の子供らが日本で一日でも長く安泰に暮らせるなら、我々がこの島を守る1日には意味がある」との言葉が、特に重く心に響いた。