「イースタン・プロミス」

 映画の冒頭、床屋で男が首を切り裂かれる場面に、いきなり度肝を抜かれた…。ロンドンの裏社会のロシア・マフィアを題材にしたデビッド・クローネンバーグ監督の「イースタン・プロミス」(2007年)。壮絶な殺害・暴力シーンの数々には、バイオレンス映画が苦手な筆者は息をのむばかりだったが、ヴィゴ・モーテンセンが見せる「動」と「静」の演技に魅了された。
 ロンドンの病院に、身元不明のロシア人の少女が運び込まれるが、少女は女児を出産した後、死亡する。看護師のアンナ(ナオミ・ワッツ)は、少女のバッグの中からロシア語で書かれた日記を発見。少女の身元を調べるため、日記に挟み込まれたカードを頼りにロシア料理店を訪ねると、店の前でニコライ(ヴィゴ・モーテンセン)というロシアマフィアの運転手と出会い…。
 ミステリアスなニコライをクールな演技で表現したヴィゴ・モーテンセンだが、公衆浴場でのファイトシーンは素手で全裸で2人の男と相対する。その結末には、あまりに残酷な描写が用意されていて、直視することをためらうが、文字通りの「死闘」には迫力があった。
 バイオレンス映画にメッセージ性を求めるのは野暮かもしれないが、クローネンバーグ監督は、少女が産んだ女児をめぐる幾つかのエピソードを通じて、血なまぐさい作品世界の中でも生命の尊さも訴えているのだろうか。少女の運命に心を痛め、女児のために行動を起こすアンナの善意も印象に残った。

「シークレット・サンシャイン」

 チョン・ドヨンカンヌ国際映画祭で最優秀主演女優賞に輝いた韓国映画シークレット・サンシャイン」(イ・チャンドン監督、2007年)。
 シングルマザーのシネは、ソウルから亡夫の故郷ミリャン(密陽)に移るが、やがて息子が誘拐されて殺される。この後、キリスト教に帰依し、救いを見出そうと努めるものの、面会に訪ねた刑務所で、息子を殺した男は「神が懺悔を受け容れ、罪を許してくれた」と口にする―。一度は救いを見出した「神」への疑念が芽生えたシネは、心の均衡を崩していく。
 シネが息子を失うことを契機に物語が動き出すが、同時にチョン・ドヨンの演技の多様性も広がりを見せる。哀しみや怒り、絶望感に加え、女性としての妖艶さ、そして狂気―。さまざまな感情演技が求められる難役を、繊細に、丁寧に演じたチョン・ドヨンの演技力に圧倒される。
 シネの神への挑戦は、彼女にとっては切実だが、一般的には「奇行」にしか映らない…。誘惑した信徒に屋外で身を委ねる際に見せる、天上の「神」に挑む目が、実にやるせない。
 自分自身を追い込み、傷付け続けたシネが、太陽の日差しの下で髪を切りそろえるラストシーン。彼女を見守り続けるジョンチャン(ソン・ガンホ)の支えを得つつ、つらくても自分の意志で生きていくことを暗示しているようで、強く心を打たれた。

「休暇」

 刑務所のベテラン刑務官の平井(小林薫)は、シングルマザー美香(大塚寧々)との結婚を決める。2人の結婚式が迫る中、死刑囚の金田(西島秀俊)の執行命令が下る。執行時の「支え役」を務めれば1週間の特別休暇が与えられるのだが、平井は新婚旅行に出掛けるため、支え役を志願する―。
 「他人の命を奪うことで得られる幸せは、果たして本当の幸福と言えるのだろうか…?」。吉村昭の短編小説が原作の映画「休暇」(門井肇監督、2008年)のパンフレットの一節である。
 人間の命は、すべからく尊いのは間違いない。死刑囚といっても人間だ。しかし、死刑判決を受けるほどの重罪を犯した人は、命をもって罪を償うべきではないか?
 平井について言えば、美香と、彼女の連れ子との関係を深めるため、休暇を欲するのは自然な感情であろう。支え役は刑務官の職務だ。一方で、結婚式目前に、それも日常的に接している金田の死に手を貸すことに、平井や周囲の刑務官の心中に葛藤が生じるのも、また当然のことだ。
 淡々としたタッチで描写される物語を通じて、こうした思いが次々に頭の中を巡る。なんとも立ち位置を定めにくい作品だった。
 出演の俳優たちは総じて好演だったが、平井の多種多様な思いを凝縮させた、小林薫の抑制された演技が特に印象深かった。

「高校生友情プライス」、来年6月でキャンペーン終了

 映画料金が高校生3人以上で1人当たり1000円となる「高校生友情プライス」は、映画関連4団体(日本映画製作者連盟、外国映画輸入配給協会などで構成)が2005年から展開中のサービスだが、2009年6月末でキャンペーンが終了することになった。

 4団体から成る「映画館に行こう!」実行委員会によると、「恋空」「クローズZERO」などの作品や、公共交通機関に近い映画館では一定の利用実績があったが、全体的な利用実績は低調なまま推移しているという。このため、来年6月30日でキャンペーンは終了。同7月以降のサービス継続については、劇場の個別判断に委ねるそうだ。

 ちなみに、夫婦のいずれかが50歳以上なら映画料金が夫婦で2000円になる「夫婦50割引」は04年度から始まり、07年6月で終了したが、ほとんどの映画館で恒常的なサービスが継続されている。

 05年度の「子どものくらしとお金に関する調査」によると、高校生のお小遣いの平均額は5590円。一方、高校生の現在の一般料金は1500円。「未来の映画ファンを育成する」という当初の目標実現のためにも、「高校生友情プライス」も継続してほしいものだ。

「隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS」

 黒澤明監督作品をリメークした「隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS」(2008年、樋口真嗣監督)。戦国時代に隣国に滅ぼされた国の姫と侍大将が、百姓2人を同伴して敵領を抜け、同盟国へと向かう―というストーリーの大筋はオリジナルと変りないが、主人公を三船敏郎が演じた真壁六郎太から金堀り師の武蔵(松本潤)に変更するほか、雪姫(長沢まさみ)の描写を厚くするなど、独自色を出そうとする制作陣のこだわりが見て取れた。

 序盤から中盤に掛けては、オリジナル脚本がベースになっているが、▽正義感が強い武蔵、したたかな木こりの新八(宮川大輔)といった今作ならではの人物設定▽自分のために家臣や民が死んでいくことへの雪姫の苦悩、真壁六郎太(阿部寛)と妹の別離の描写―なども奏功。敵役の椎名桔平や、男色の関所侍役の高島政宏の好演や怪演もあって、観客を作品に引き込む“引力”が体感できた。

 振り返れば黒澤明監督版では、上原美佐ふんする雪姫は高貴な気高さが魅力的だっだ。その結果、作品全体の雰囲気が男っぽくなり、それが冒険活劇としての爽快感をより高めていたと思う。

 これに対し、樋口真嗣監督版は、終盤に入ると武蔵と雪姫の「関係」がストーリー展開の軸になる。雪姫は武蔵に愛情を抱くわけだが、結果として、その描写のさじ加減、すなわち「愛」の描写がやや過剰であったため、今作の風合いをチープなものにしてしまった印象は拭えない。

 雪姫の扱い(キャスティングも含めた)次第で、作品全体の魅力はもっと増したのではないか―。樋口真嗣監督のリメークへのアプローチは悪くなかっただけに、残念な気がした。

「大いなる陰謀」

 ロバート・レッドフォードが7年ぶりに監督を務めた「大いなる陰謀」(2007年)。(1)ジャーナリストによる政治家へのインタビュー取材(2)大学教授と無気力な学生の議論(3)アフガニスタンの前線の状況―を重層的に絡ませ、米国の対テロ戦争をめぐる諸相を浮き彫りにした作品だ。
 共和党の有力上院議員アーヴィング(トム・クルーズ)は、アフガニスタンでの新たな軍事作戦を立案。実行に移されるが、その作戦に参加していた大学教授マレー(ロバート・レッドフォード)の教え子2人は、敵襲により極限状態に追い込まれる。エリートが立てた作戦で、戦地に赴くのはマイノリティだ…。
 一方、作戦に関する情報をアーヴィングにリークされたテレビジャーナリストのロス(メリル・ストリープ)は、世論操作に利用されていることを懸念し、報道すべきかちゅうちょする。
 レッドフォード監督は、マレー教授として「無関心の罪」を熱心に説く。監督の良心や生真面さはスクリーンからよく伝わってくるのだが、「政治的主張」とも受け止められるため、観客として気持ちの上で一歩引いてしまった。
 演技的な観点に立てば、上院議員役のトム・クルーズが魅力的。膨大なせりふを咀嚼した上でエリート臭を振りまいていて、俳優としての確かな技量を印象付けることに成功している。(了)

「ノーカントリー」

 今年の米アカデミー賞で最優秀作品賞、最優秀監督賞などを獲得したコーエン兄弟監督の「ノーカントリー」(2007年)。最優秀助演男優賞を獲得したハビエル・バルデムふんする危険な殺し屋は、ただただ恐ろしく、彼に追われるルウエリン・モス(ジョシュ・ブローリン)に感情移入し、ひたすら無事を願い続けた。
 1980年代の米テキサスで、ベトナム帰還兵のモスは狩りの最中、偶然に何体もの死体と大量のヘロイン、大金を見つける。彼は、この大金を持ち去ったため、殺し屋アントン・シガー(ハビエル・バルデム)に追われることに。傷を負わされながらも、逃亡を続けるモスだが…。
 劇中、アントン・シガーは、10人以上の人間を殺しただろうか。コイントスで人の生死を決めるシーンに象徴される通り、7・3分けのおかっぱ髪の殺人鬼は、あまりにも非人間的なキャラクターだ。アントン・シガーが家畜用の空気銃を使って人を殺すシーンもあるが、彼が人を殺すことに何のためらいのないことを巧みに表現している。
 モスは大金を横取りしたことで、絶望的な状況に追い込まれるわけだが、彼の運命からは、行いは常に正しくしないといけないとの教訓が得られる。「バカなことをしに行くんだ」とのモスの言葉も理解できるのだけど、現実とはやはり厳しいものなのだろう。
 終盤、トミー・リー・ジョーンズふんする保安官は、ある場所でアントン・シガーとニアミスするが、殺されなかった。秩序を守る保安官が殺されなかったのは、無秩序な今作にあって、せめてもの救いだった。(了)